古傷の疼く(一)

f:id:odolishi:20200112110526j:imagephotographer:Kuniaki Hiratsuka

山道のはじまりのうねりに沿って、茶色いかたまりがいくつもうちつらなっている。不法投棄されたようなそれらは、よく見れば木々——家の解体作業で出てきたいくつもの梁や板——で、なかには江戸時代の立派な梁も埋もれているらしく、これとか、ほら、と促されてみれば「三寸云々…」と書かれた文字が煤けてみえた。数百年という年月を経て今ここにあるという不思議。見た目にその永い時間の経過を感じられたわけではなかったが、いまは使われない単位の書きつけてあることが、その時代を証している、磨けばいまに生き生きと蘇る上等の梁らしい。そのような材という材が、この陶房ゴウハラ——三月の末に月白で展示をひかえている郷原さんの陶房——には集まってくるらしく、そこへ月さん杜胡さんが打ち合わせへ行くというので、僕も連れてってもらった。

そのような材山の端から、門をくぐって階段を下る途中に見えるのが陶房、さらに下った先にはギャラリーを併設した住居、その裏手に窯があった。驚くべきは、そのどれもが郷原さんの手による建築だということだ。住居は近くにあったのを解体移築してきただけだから別に大したことはない、というからさらに驚いた。中へ入ると、外観よりも広く思える空間の向こうの、大きい窓からは折柄の木漏れ日が差し込んで、大きい机に並べられたいくつものうつわが光っていた。「やっぱり、ここで見ると印象が変わりますね。」と口々に言い合いながら、二人の興奮気味にうつわを見つめる間も、僕はといえば、しばらくその空間全体により惹きつけられ、そこに浸り込んでいた。

ギャラリーの隣に併設された庵—— ここがまた素晴らしく、子どもの頃に秘密基地を作ったのは、本当はこういう空間を作りたかったのだと思い知るような庵—— から外へ出ると、窯がある。山の斜面を這うような、綺麗な竜のような窯の上には、お椀が二つ置かれていた。火入れの時、ここに日本酒と塩を盛り、火の神様を祀るのだそうだ。「神様がいるからね。」と、その姿を思い出す目をして郷原さんがつぶやく。それは見てみたいと思ったが、郷原さんは火入れに掛かる二週間はほとんど寝ずの番だそうで、一週間もしだすと幻覚をよく見るというからは、そうでもしないと見えない神様なのかもしれない。

ギャラリーに戻って、郷原さんのうつわでお茶を頂きつつ、三人が打ち合わせするのを聞いていた。今回は杜胡さん監修の展示のようで、彼の持つ展示の全体像から、ふつふつと浮かんでくるうつわのイメージを、郷原さんのそれと擦りあわせ、作業工程の実際などを確認しあっては、また全体像へと還元してゆく様子は新鮮だった。展示の打ち合わせといえば、作家がまずは物を作り、それらをどのようにして展示空間に落とし込むかという作業を思っていたから。またそこにおいて、作家はある種の王様であるとさえ思っていた僕として、杜胡さんや月さんの話すイメージにしんしんと聞き入り、時間の制約からできないことのほかは、なんでも受け入れるかに見えた郷原さんの在りようは思いがけなかった。

その打ち合わせのなかでも、とりわけ三人の注目の一致した的が、まだ焼かれる前の土感がひときわ生しい質感の、形は原始のボウルのようなうつわと、その素になった原土のかたまりだった。これから何にでもなれそうな原土と、まだいくらでも手をかけられそうなボウルのごろっところがしてある様には、整然と並べられてある他の完成形とはまた別様の蠱惑があった。

打ち合わせもひと段落して、展示のフライヤー用に、月さんはうつわの写真を撮りはじめた。僕もやっと仔細にうつわを見る目になって、一つ一つ眺めていると、「本を作ってるんだってね」と郷原さんから声を掛けられた。はい。と受けて、そうして微花を見てもらった。本を目の前で見てもらう時間には、いつでも独特の緊張がある。僕はそこから逃げるようにして、うつわを見ていた。「綺麗ですよね。」と杜胡さんが話し掛けるのを遠くに聞きながら、僕はこのたくさんのうつわ——お皿、お椀、花入れ、オブジェの数々に、またそれを作った郷原さんに、何といってよいのか、わからないでいた。

「ありがとう、良い写真だね。」

そこで別に包んできた微花を渡すと驚いた様子で、隣の部屋を綺麗にしたらそこに飾るつもりだと受けてから、「よかったら、その棚にあるのから好きなの持ってっていいよ。」と言ってもらって、今度はこちらが驚いてしまった。互いに作ったものを交換すること。そこにはお金を払ってもらうのとは全く違う緊張がある。二十いくつもあったろうか、主にお椀やカップの並んだ棚に向かって、さて、自分は何を飲みたいか、何を飲んでいるのかと問いながら、見た目からして珍しい、飲み口から底へと末広がりになったカップが気になって、窓からの光に晒して見ていると、「それかい?」と聞かれて、これだと思った。僕は朝食を済ませてからいつも、仕事に出掛けるまで珈琲を飲んで過ごすのだが、その至福をこのカップと共にしようと思った。

諸々を終えてから、最後に残っていた肝心の陶房を、汚くて狭いからといって見せるのを渋る様子の郷原さんだったが、最後は僕らの期待に根負けしたように見せてくれた。中に入ると、狭いというよりは、緊密なコックピットのような空間に、様々な道具や、ろくろや、いくつもの原土、昔のうつわの資料集などが濃密におさまっていた。猫のマキ——薪の所にいたからそう名づけられた——もいた。窓からの光が、道具や棚に濾されてひとすじに、床にあった土をそこだけ眩しく照らしていたのを手にとって、「さっき話してた、これが120万年前の土だよ。」と郷原さんは言った。薄暗い陶房——マキが鳴き止んで、物音一つ無い静かな陶房——で、120万年前の土をじっと眺めている今、がいつなのかわからなくなる。(そのすぐ向こうには江戸時代の梁が横たわっていたのだ。)

帰りがけに「この階段も作ったんでしょう?」と杜胡さんが聞いた。その労苦を思い出すような表情で、さっき僕らの何気なく降りてきた石の階段について郷原さんの語ったところによれば、それは昔、この近くにあった銭湯の洗い場の床石だったそうで、処分するには多額の費用がかかってしまうのをきらったそこのオーナーか労働者が、貰い手を探すもなかなか見つからない末にここにやってきたのを郷原さんが階段に仕上げたもので、しばらく経ってからそれを見たいつかの彼は、「毎日毎日、磨いた床だったんです。それがこうして階段になって…」と泣いてお礼を言ったそうだ。僕も泣きそうになった。それはいつかの彼への共感とかさねて、郷原さんという人間——なんでも自分で作る器用な人間であるよりほかに、どうしようもなかった不器用な人間——その在りように走った疼痛だった。