健康の企て

f:id:odolishi:20191222171953j:imagePhotographer : Kuniaki Hiratsuka

月白には写真集がいくつかあって、いつでもひらいて見ることができる。中でも写真家・鬼海弘雄の作品が多く、僕は文庫本の写真集『世間のひと』ーやわらかく笑っているおばあちゃんの肖像が表紙の本ーが前から気になっていたから名前だけは知っていたが、彼こそが月さんにとって最も敬愛する写真家であるといつか聞いた時は、正直渋いなあと思ったのを覚えている。

それから時が経って、月白の徒歩圏内に越してからあらためてひらいてみた彼の代表作『PERSONA』ー浅草寺の境内の朱い壁を背景に、市井の人々の肖像を45年にも亘って撮り続けた作品ーに飲み込まれた僕は、あとがきに書かれている彼の写真についての考えに思いがけず自分のそれと重なるところを感じ、その深みにおいて揺さぶられるという経験をした。今も揺らいでいる。

それからは写真自体もそうだが、鬼海さんの言葉を読みたいと思うようになった。彼の写真には必ずキャプションがあり、普通それは補足的なものに留まるが、彼においてはそれこそが表現の核といえるまでになっている。そんな彼が自分の撮る写真の肖像についてあるインタビューでこう語っていたのだと、『東京ポートレイト』のあとがきに評者が引用していた「自分自身の他者」という言葉、前後の文脈は見えないのだが、この単純な言葉に打たれた。ちょうどその時、自分という言葉による他者との境界線、厳然としてある身体という輪郭線を、時に越えてしまう自分ということについて考えていたから。線はそのままに、染みだす自分、また染み込んでくる他者や物、世界について。

それは言いかえれば共感である。どうも共感という言葉が易きに流れてしまっているとは感じながら、なお人間の深いところに根ざしている、それ無しには人間が今日まで存続し得なかったであろう共感について。

それを考える端緒となったのは、ある日、これも月白にて、トークライブ「絵本的於月白」の時にも着ていた気にいりのシャツの襟元が破れてしまったのを、そのライブで出合った洋裁家のりみさんに繕いを教わって繕っていた自分の姿を見て、りみさん、月さんともに「見ているだけでいい、なんだか落ち着く。」と口を揃えて言ったこと。たしかにあの時、僕は普段になくやすらいでいた、物を自分の手で直すという過程に、自分もどこか癒されていくのを感じていた。ここまでは分かる。けれどそれを見ているだけでも同じような気持ちがするという時、それぞれの自分には何が起きているのか。それこそが、人間に自ずから備わっている共感の作用なのではないか。

そうして、今年に出た鬼海さんの対話集『ことばを写す』にも、そのような共感にまつわる一節があるそうだ、読んだ人曰く、「精神科の患者さんが鬼海氏の写真を見ると落ち着くとの記述があり、さもありなんと思う。」どうしてそのようなことが起こるのか。それは鬼海さんにとって、写真を撮ることが癒しとなっているからだと僕は思う。彼が癒しという言葉を使っているのを僕は知らないし、また共感とも似て、癒しという言葉も随分と易きに流れてしまっているから使うに難しいのだが、彼は写真を撮る時、被写体に自分を見るのだというーそれを見ないでただ単に他者を撮るのは、彼にとっては証明写真と変わらないのだというーその自分を見つけて、じっと見つめる時、彼は深く癒されてもいるのではないか。( 本でもそうだが、読みながらそこに自分を見る時がある、そのときに救われ、安堵し、やすらぐ自分が居はしないか。) そのようにして撮られた写真を見る時、鬼海さんが写真を撮る時の状態に共感してしまうということがあって不思議でない、さもありなんと思うのだ。

ここにおいて、微花が少しずつ病院へと届きつつある現状が重なってくる。詳しくは「絵本的、その後」に譲るとして、つい先日、作家の坂口恭平さんが代官山蔦屋書店でブックコンシェルジュを一日限定で行なった際に紹介されたジル・ドゥルーズの遺作「批評と臨床」が何となく気になり、Amazonを辿った、そこで見つけたある言葉を、以降も続いていくこの連載と、そうして一週間後に迫った「月白にて」の糸口として、ここに置いておこうと思う。

「文学とは錯乱/健康の一つの企てであり、その役割は来るべき民衆=人民を創造することなのだ」

それがどのような意味として書かれているのか、特に錯乱においては読んでいないのでわからない。けれど、健康の企てが文学であるということは、自分が微花をはじめていらいずっとやってきたことの本懐と重なる。それをこんなにも単純に言い切ってしまうドゥルーズに痺れた。

翌日、これと同じことを友人のそうしさんが呟いているのを見て、批評と臨床?ちょうど気になっていたと伝えると、「送ります!」とのこと。何がどうなっているのか、様々な声や本や思想が、ここしかないというタイミングでやってくるのが今の自分らしい。終わらない企てのはじまりである。

12.29(日) 18:00より

「月白にて」

月さんと、以上のようなお話をします。

年の瀬は、忘年するより健康の企てを。

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