月白にて

f:id:odolishi:20191217225134j:imagePhotographer : Kuniaki Hiratsuka 

扉を開けるとカウンターにお客さんが居て、月さんが「今、冬が売れたよ。」とポチ袋にお金をつつんで渡してくれる。冬のプレゼントに選んでくれたそうだ。月白における微花の常設販売が始まってから、それはあいさつのような自然さでつど交わされるやりとりとなっている。

 月白とは、僕の家から歩いて数分の場所にある喫茶店のことで、その名は微花の創刊の核となった小説「感受体のおどり」の、鍵となる登場人物の名前から付けられた。自分の名前に飽いた所へ月白を見つけ、月白と呼ばれたいとそう名づけたそうだ。それで店主はお客さんから月さんとよく呼ばれている。

 名づけのきっかけもそうだが、微花が無ければ今のようなお店はしていなかったと思う、と月さんは言う。そんな僕は月白が無ければ福岡へ越してくる事は無かった、そのような移住から一月が経った。決め手は春の微花復刊に際して、足掛け全国十箇所を巡ったトークライブツアー「絵本的」の、会場はいずれも書店だった中で唯一の喫茶店が月白だった、そこでどの会場でもあじわうことのなかった感触 ー 自分が言葉を話しているというより、自分を通して言葉が湧いて流れてゆくような感触が気持ち良く、また聞き手の小さなうなずきや微かな挙動までもが、場所によってこうも変わるかと心地よく、話しながら住みたいと思い、同時にもう住んでいるような感覚で居たのだった。

 イベント後、瞬く間に相当数の微花が売り切れ、お客さんからはあの日の余韻が物凄いという声が届いている、僕もあれから何度も思い出している、と月さんからメールが届いた。思いがけないその声をうけてさらに確信したのは、あの時、これこそが自分の本当の仕事なのだと直感したことだった。それを今読んでいる本になぞらえて言えば、言葉をみがくこと、言葉のエラボレーション(elaboration=入念に作ること、労作)である。

  「しかもそれは、社会、世界に背を向けてただ言葉をみがくだけの、オタク的な生き方とはまったく違ったものです。社会、世界に自分をつきつけることで、内面に根ざす表現の言葉を現実的なものに鍛えることなのです。」

  大江健三郎の「シンク・トークとシンク・ライト」つまり「話して考える」と「書いて考える」という直球のタイトルなのだが、まさにあの時、僕らは自分達で作った本を持ち寄って、そのことによって書いて考えて来たことを、月白という場所で、話してさらに考えることをした。それが書いて考えるだけでは起こり得なかった言葉のエラボレーションを引き起こし、各会場ごとに違った感触をもたらしながらツアーは幕を閉じた。その成果は「絵本的、その後」に書いた。

 これを月白において、一回限りのことではなく、イベントが終わった後も継続する日々の習慣、いわば生きることの習慣として位置付けたいと僕は思った。どうして月白なのかといえば、ここはなにか、良い水場なのだ。言葉が湧いて流れてゆくような感触、と先に書いたが、言葉は水なのだ。流れもすれば、詰まったり、時に蒸発したりする中を人間は生きている、そのからだの70%は水だという、言葉もまた生きるのにどれほどひつようなものか知れない。そうであれば、生きることの習慣として、書いて考えるならひとりでもできるが ー それはまた意識するしないに関わらず皆やっていることだ ー さらに話す場を持つことは、ひとりではできない。ここでならそれができる、あの時思いがけず、そのような水路を開いたのではないか。

 移住から一月が経って、新しい仕事にも就き、出勤前に書くという日課が続いている。それを七十二候のリズムに乗せて、五日に一本のブログという形で連載を始めようと考えていたら、ちょうど今日から『鱖魚群(さけのうおむらがる)』と水の流れも良さそうなので、これを初回として連載を開始する。つまり書く日々があり、書き物がある、あとは話す場だ、時も来たと思って、先日、月さんに話してみた。それでは月一、月の晦方に、月白にて話す場を持ちましょう。二人で話す、これを「月白にて」と名づけて、生きることの習慣とする。

 

月白にて

日時: 2019年12月29日18:00〜20:00

会費:1000円(ワンドリンク付き)

会場:珈琲月白

 初回は以前の「絵本的」の流れも踏まえつつ、その後のこと、生きることの習慣について話す予定です。そうして以後、日どりの他は完全未定。それがいいと思う。説明不要、ただ「月白にて」とこの一言で、人が集まり言葉を交わす水場となればいい。