最後の人間

時折やってくる何にも興味が出ない誰とも会いたくない平穏ながら苦しい時期がようやく明けてきたとき、発見が相次ぐ。それらは次々と押し寄せてきては、互いに繋がってやまない。その渦中は苦しいだけの平穏だが、抜けるとここへ出る。今までもそうだった。東京へ来て二ヶ月、そのほとんどがこの魔と重なってしまって、はじめは行くつもりにしていた場所も、会うつもりにしていた人達も、ついに見ないままに大阪へ戻ってきた。福岡に、かねてから探していた家が見つかったのだ。今週末にはここも発つ。

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 発見、といっても世間にはあまりに古く、自分としてもそれと気づかずに思っていたようなことを、様々なきっかけから、あらためて思い出すことになった。

火について。

思えばこのブログでも、初めにとんどのことを書いていた。それ以来ずっと燻っていたようなところへ、先月、奈良の大宇陀へ赴き、東さん主催の「ひだぎゅう祭り」に参加した。枝豆だけを肴に酒を飲むお祭りである。軒先きに火を焚いて、そこに彼の棚田の畦から採れたての枝豆を茹でては卓へ、茹でては酒とともに胃の腑へ流し込む秋の祝祭の、火元にずっと居た。こんな日でもなければ枝豆を大量に食べることは到底かなわない、お金をつぎ込めばいいわけでもなく、採れたてを洗わずに焚き火で茹でる熱々をほうばるのだからいちばん美味い。こんなにも美味しい枝豆を食べたのは初めてだった。

それでも僕は、そのような初めての経験よりも、ただ火元に居たあの時間に何より満たされていた。向こうの卓では東さんや、僕の知らない人達が賑やかであった。枝豆を茹でて彼らに補給するのが一応の役目だったが、そんな事も忘れて火元に居た。隣にはそうしさん、磯田さんが居て、彼らも祭りの本懐よりも火に惹きつけられて居る風だった。色んな事をそこで話したがほとんど覚えていない。やっぱり火やな、と言い合った事だけ覚えている。何を燻っていたのだろう、これでよかったのだ、と何だか腑抜けのように火元に居た。


祝祭の明後日に、僕は福岡へ行った。家を探すために。そうして、高島野十郎の絵を観るために。野十郎といえば、蝋燭の絵が有名である。展示を観るだけでも幅の広い創作をしていたことのわかる彼は、その様々な創作群を描いていく中でずっと、執拗に蝋燭の絵を、構図のさして変わらない、卓の上に燃える蝋燭の絵を何枚も何枚も描き継いだ。前回の展示では空間を暗くした壁際に、ずらっと一列蝋燭の絵を並べた展示がなされたそうで、暗くされた空間の、本当にそこだけ明るかったのだと月白さんが言っていた。残念ながら、聞いて期待したのとは著しく外れた今展示の構成であったけれど、それでもたしかに彼の描く蝋燭に燃える火は、絵であるにも関わらず、不思議と明るかった。それにもまして不思議なのは、野十郎が何枚も何枚も蝋燭の絵を描いていた事、火を灯した蝋燭に相対し、描く、その時間のことだった。火元の存在、今は不在の人間について思わずにはいられなかった。


秋は、火を考えるのにうってつけの季節だ。それは日が早く暗いばかりに、また日ごとに寒くなってゆく時節ということもあるが、秋といえば、その字は禾へんにつくりは火だ。

十月の終わり、季節といなり豆椿で行われた書道家・華雪さんのワークショップ" 秋の実り "に参加した。そこでは秋の字の成り立ちを繙き、その上で秋の字を墨で書く、という事をしたのだが、現在使われている秋とは、そもそも龝(しゅう)という、稲をあらわす禾と、いなごなどの虫をあらわす龜に、火を組み合わせたのがその原型で、それは秋に、いなごなどの大発生によって穀物が被害を受けるのを防ぐために、虫を火で焼いて豊作を祈る儀式の意であった。転じて龝はみのりを意味するようになり、後には虫が省かれ、火は残り、今の秋の字になったという。つまり、秋にはそもそも四季をあらわす意味は無かったのである。他の字も同様に、いつからか四季をあらわすようになったらしい。それというのも、四季という概念そのものが、七十二侯、二十四節気を大雑把に四つに捉えなおした新しい腑分けであって、春夏秋冬は様々な理由からその新しい腑分けにあてがわれた字であり、それまでは四季そのものが無かったのだ。

そうして次第に省かれ大掴みになってゆくあれこれ、と思わずにはいられなかった。今ではもはや、秋そのものが失われつつあるかのような気配さえないか。実際、気候事実としては年々そうであるらしく、また暑い寒いと気温ばかりを季節と思いなす感覚にはよりいっそうのことかも知れない。龝から虫が省かれるどころの話ではない。秋のかそけさ。火もまた然り、と僕は思うのである。


そんな折、本屋で偶然見つけた2000年11月号の「母の友」の" 暮らしの中の明かりと暗がり " 特集。その中の文章にハッとした。

 『人間が用いた一番古い明かりは、雑木や草の根を集めて燃やした焚き火だろうといわれています。以来、「最後の燃焼性光源」と呼ばれるガス灯まで、人は" 燃やす "ことを様々に工夫してきました。暗やみにともされた火の明るさを思い出す必要はないでしょうか。』

 「最後の燃焼性光源」これがどうにも、「最後の人間」と読めてしまって仕方が無かった。この言葉は昨年六月、blackbird booksで行なわれた「つち式」刊行記念トークの場で、東さんを指して使った言葉だ。彼の家の軒先きの焚き火、その一番古い明かりにふっと連れ戻される。

最後の人間、それは昨年、坂口恭平が書き終えれなかった小説のタイトルでもあるらしい。彼がどのような意図でこの言葉をタイトルに据えたのかは分からないが、なんとも惹きつけられる言葉だ。

 
火を考える。といったって何のことはなく、それは既に幾多の人々が考えてきたことであり、もっといえば、かつては誰もがそう生きてきたようなことだ。ただそのような事を僕としても、現に生きてみたいと思っている。現に、というのが肝要だ。利便主義からは懐古主義と笑われるかもしれないが、結構だ。あらゆる潮流ながれの中で、自分の気持のよさに棹さして生きる、それで果たしてどこへ流れ着くやら、僕は知りたいと思っている。

 
焚いている人が 燃えている火   とか。